オンラインアート!
5月30日「意味の学校」で、初めてオンラインアートを開催しました。試験的な取り組みで、9名の方にご参加いただきました。7名は臨床美術の経験者、2名は非経験者です。
これまでの経験では、対面でのみ実施してきました。だから、参加者の心の機微に触れる「臨床」の美術は「オンラインでは質を保てない。」そんな風に今でも思っています。でも実際に違いや限界を実感するために、津屋崎ブランチさんのお声かけを機にオンラインセッションに挑戦してみることにしました。まずは、臨床美術のエッセンスを含みつつ、アートプログラムではない「オリジナルアート」を実施することに決めました。
「お家アート」でも提供した「音楽を描く」にトライ。1曲目はオーケストラのクラシック、2曲目は、アフリカ民族音楽の2部制です。静と動という真逆の音楽を体験していただきました。
通常デモンストレーションは、参加者の目の前で音楽を流しながらリズムに乗って描きます。どんな風に体を動かしリズムに合わせ描いているのか、臨床美術士が描く立ち姿全体を間近で見てもらいます。でも、オンライン上では、このように手元しか見えません。(今回はiPadで投影)
音の質を保つために参加者の方に音源を提供し、デモンストレーションの後は各自のペースで描いてもらえるようオンラインならではの工夫をしました。できる限り手元での制作の様子が見れるように、参加者のカメラを下向きに設定してもらいスタート。それでも光が入ると手元が見えず、途中で画面に向けて作品を見せてもらいながら、コメントしました。
鑑賞会は通常、壁に全員の作品を飾ります。全体が一つの作品(一体感)ともいえるのですが、オンライン上では個々の作品しか参加者には見えません。大きく一人をビデオ固定して鑑賞会を進めていきました。最後はギャラリービューで撮影。こんな感じです。↓
参加者のうち臨床美術経験者であり「意味の学校」主催者山口覚氏が、こう振り返り伝えてくれました。「Zoomの画像や音声には、いのちが宿っていない。画像で見たものは視覚的には本物と同じようでも、宿っているいのちは、オンラインでは伝わっていないので、感動が何分の一にもなるのだろう。それでも感動できるのはなぜか?すでに既知の感動体験があり、オンラインで過去の感動体験が呼び起こされるからかもしれない。生まれてからずっとオンラインの体験だけでは、永遠にアートの意味は理解できないだろう。」
「いのちの輝き」を大切にする対面でのセッションと比較し、オンラインでの限界を感じる一方で、私の予想以上に、これからの可能性についてもご意見や感想をいただいたので、少しご紹介します。
【臨床美術経験者】
・工夫次第で対面の良さに近づけることができる
・目に見えない、正解がないことを大切にする臨床美術こそオンラインでやっていく時である
・鑑賞会で他者の作品が見えにくくても、不思議と苦痛ではなかった
・オンラインでは自分の家や仕事場が、非日常の空間になり居心地がよかった
・個に集中することができた
・対面では鑑賞会の印象が強く残るが、オンラインでは自分の制作時間の方が濃く残る
・国籍が違う者同士オンラインでアートを共有したい
・対面での空気感は、オンラインではないが、充分に対面に近い形で楽しめた
・オンラインは、引きこもり、子育て中の方、病状に伏している方など、アートの力を必要とする人に届けられる可能性を感じる
【非経験者】
・純粋にとても楽しめた
・いろいろな画材を使って描けて面白かった
・癒しの提供は、オンラインで意外に向いているのでは?
・オンラインでもとても楽しかったので、次は対面での臨床美術を是非体験してみたい!
オンラインの限界を知ることから、未来への可能性がスタートするのかもしれませんね。^^
また、対面でのセッション力を高めることが、オンラインでの「場」をより良くすることにつながるのかもしれません。
今回実験にご協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
次は、オリジナルアートではなく、臨床美術をオンラインで是非やってみましょうね!!
~オンラインで描いた「音楽を描く」アフリカ民族バージョン~
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